北条城は小田氏の祖である八田知家の7男である北条時家が鎌倉時代に築いた城です。
この「北条」という姓は鎌倉時代の執権の北条氏、相模国の北条氏とは全く別系統の北条氏でした。
北条時家自身はその後、常陸国多珂郡高野庄に移って高野時家と名乗り、高野氏の祖となりますが、子孫は戦国時代、小田氏旗下の小田一門六家として北条城主、北条出雲守治高という人物が8000石を賜っています。
小田氏の筆頭家臣である土浦城の菅谷政貞は1万石であることからも重要視されていたことが窺えますが、その後、北条出雲守治高は小田氏を裏切って佐竹側に着きますが、1574年の土浦攻めの際に討死したと伝わっています。
城に関してはいつ廃城になったかは定かではありませんが、1582年に下妻城主・多賀谷政経の攻撃を受けて落城したとも伝えられています。