石岡城は、建保2年(1214年)、大掾氏の祖となる馬場資幹によって築かれた。 馬場資幹は常陸大掾を継承して大掾氏を名乗り、常陸国衙で政務をとり、地頭職を得て館を築いたのが始まりとされる。馬場資幹は初見は建久元年(1190年)に源頼朝が上洛した際に先陣に加わったとされる『吾妻鏡』の記事が初出で、それ以前のことは不明ですが、他の常陸平氏と同様、金砂城の戦いの後に頼朝に従ったと考えられている。
貞和2年には正平元年(1346年)、大掾詮国の頃に常陸国衙を拡張し、府中城を築いた。府中城へと居城を移した後は、府中城の支城となり「外城」とも呼ばれた。