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東林寺城 別名 新地城

歴史

東林寺城は、牛久市の北西に位置しており、牛久城の支城として岡見氏によって築城されたものと考えられます。永禄7年(1564年)には上杉謙信が小田城を攻めの際に陣所にしたと伝えられている。

 

永禄9年(1566年)のものと考えられる「小田味方地利覚書」(上杉文書)では「一,やたへ、同とうりんち おかミのたんちょう、こんとうちふ」という記載があり、既に東林寺という名称が用いられていたとされる。城主は美浦村の木原城と関係があった一族の近藤治部であるとも言われているが、近藤氏と東林寺城の関係は明らかではない。

 

天正10年代(1582年〜91年)の「岡見氏知行等覚書写」には「新地 同(城) 同(岡見) 五郎左衛門」の記載があり、脇に「治部弟」の記載があることから、東林寺城は新地城とも呼ばれ、近藤氏ではなく岡見氏の一族、牛久城城主、岡見治廣の弟が城主となっていたことがわかる。

 

その城郭の広大さと牛久番を務めた井田氏の居城、坂田城(千葉県横芝光町)と構造が似ているため、牛久番は東林寺城にあったという説もあるが真偽は定かではない。その後、「小田原の役」で廃城になったと考えられる。また東林寺城は、関東の諸葛孔明ともいわれる伝説の武将、栗林義長ゆかりのお城としても知られている。

城跡について

現在、城跡が残る東林寺には一郭から移設された牛久市指定文化財の「五輪塔」を残すのみとなっています。一郭の大部分が失われていますが、二郭の空堀と三郭の空堀が残されている。現在一郭には地元有志である民間団体「新地の台地で活きる会」が看板を設置されている。

関連事項

栗林義長

栗林義長は、古記録などから岡見氏の軍師であったと考えられていますが、その人物像は謎に包まれています。東林寺城内にある東林寺には義長の位牌が祀られており、実在の人物であるようです。江戸初期に成立した軍記物『東國鬪戰見聞私記』で八面六臂の活躍を見せ、その点から、関東の諸葛孔明と言われている義長ですが、あくまで軍記物に記載さている内容の為、実際の活躍については明らかではありません。また女化に残る民話『キツネの恩返し』に登場する八重(白虎)の三男、竹松の子が栗林義長であるという言い伝えもあります。

参考文献

牛久市史編さん委員会 編.『牛久市史 原始古代中世』.牛久市.2004年.589p