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3代目常陸国司 石川難波麻呂(生没年不明)

3代目常陸国司。

石川難波麻呂(いしかわ の なにわまろ)は奈良時代の貴族で名門蘇我一族の出身。父は斉明天皇や天智天皇の下で大臣を務めていた大紫、右大臣であった蘇我連子とする系図があります。

元明朝の和銅4年(711年)正五位上、和銅7年(714年)には従四位下・常陸守に叙任され常陸国司を務めた石川難波麻呂は、常陸守在任中の霊亀年間に、調(繊維製品、工芸品、銭など)を都に運ぶ脚夫が、遥か遠くの京へと向かう道中に大量の食糧を必要としていることから、郡発稲(ぐんはつとう)の名称で5万束の稲を別置して出挙(農民へ種子を貸し出し、秋に利子をつけて返済させる慣行)に出し、利息を道中の食糧に充当する制度を作りました。

これに対して主税寮(出挙などを管理する機関)は太政官符という公文書に基づかない出挙は違法とし、制度は撤廃されてしまいます。しかし弘仁2年(811年)には、制度の有用性が見直され再開されたと平安時代初期に編纂された勅撰史書『日本後紀』(にほんこうき)には記されています。

霊亀3年(717年)には従四位上、養老3年(719年)正四位下と順調に出世したと伝わっています。

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