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小坂城

歴史

 小坂城は北に鎌倉街道が通る交通の要衝に位置し、愛宕山に築かれています。現在は「小坂城跡広場」として地元住民によって整備されています。城主は『小田家風記』に「岡見備中守」の名が記されていることから、岡見氏の一族であるとされています。各曲輪を守土塁と空堀が複雑な折れを持ち、小規模ながら技巧的な城館跡となっています。また数種類ある岡見氏の系図に、岡見治資(あるいは治房)が牛久城に移る前に小坂城にいたという記載がありますが、明確なことはわからず、真偽は定かではありません。

 現地には小坂城にまつわる「笄松(こうがいまつ)物語」という物語が残っています。物語の内容は小坂城に仕えたきくという女中が、井戸汲みをしている時に、城の南西側で敵の準備をしていることに気づいたため、城の防衛をすることができました。しかし、その褒美にもらった美しい笄(当時の髪飾り)を井戸に落としてしまい、笄を取ろうとしてきくは亡くなってしまいます。哀れに思った村人たちが、きくの鎮魂のため松の木を植えますが、大きくなった松の枝振りが笄の形に似ていたことから「笄松」というようになったというお話です。この物語にでてくる笄松は、昭和20年ごろまで小坂城の南下にあったと言われていますが、笄松は400年近くこの地域に生きる人々に戦いの伝承を伝えてきたのかもしれません。

 この昔話で語られる戦は小坂城の戦いであり、江戸崎土岐氏の配下である東条泉氏と、岡見氏とその宗家である小田氏も参戦したと言われています。新編常陸国誌には、「天文17年(1548年)に小野川の対岸の泉城から攻撃を受け、小坂岡見勢が泉城主の東条重定を討って撃退した」との記載が見え、当時は小坂城が江戸崎土岐氏と岡見氏の支配領域の境目であったと考えられます。御城印デザインは、小坂合戦の表記に、小坂城の空堀の様子と笄松物語の笄と松を配しています。

城跡について

現在は「小坂城跡広場(小坂城跡公園)」として整備されており、空堀や土塁だけでなく、虎口や土橋、横堀など、多くの遺構を確認することができます。地元住民によって定期的に整備されています。

関連事項

岡見治資

岡見弾忠治資とも云う。岡見一族の中でも惣領的な立場にいた人と考えられ、牛久岡見氏の祖となったと伝えられている。岡見氏の有力支城である谷田部城の城主。(小田氏治味方地利覚書より)。一説によると岡見氏の支城、小坂城の城主とも。

永禄12年(1569年)、小田氏と佐竹氏が戦った活線である手這坂の戦いで小田氏治軍の一軍として戦い、戦死したと伝えられている。

参考文献

牛久市史編さん委員会 編.『牛久市史 原始古代中世』.牛久市.2004年

龍ヶ崎市史編さん委員会 編.『龍ヶ崎市史 中世編』.龍ヶ崎教育委員会.1998年