古渡城
歴史 古渡城の歴史は、築城から廃城に至るまで約16年余りと短命でしたが、入城した武将は名を馳せた人物でした。 一人目は、甲賀忍者・山岡景友です。景友は、六角氏家臣で栗東武士として名高い山岡景之の子として生まれました。 …
歴史 古渡城の歴史は、築城から廃城に至るまで約16年余りと短命でしたが、入城した武将は名を馳せた人物でした。 一人目は、甲賀忍者・山岡景友です。景友は、六角氏家臣で栗東武士として名高い山岡景之の子として生まれました。 …
歴史 築城は、室町時代初期の応永〜永享の頃(1400年代)頃と推定され、土岐原景秀が江戸崎城を修築して以来、景成ー治頼ー治英ー治綱と五代にわたる居城でした。 土岐原氏のルーツを辿るには、本流である美濃土岐氏の系譜 …
歴史 阿波崎城も築城年代が定かではありませんが、常陸国における南北朝期史上では極めて重要な城跡であり、茨城県指定史跡となっています。 神宮寺城が落城した後、北畠親房は阿波崎城に転戦しました。阿波崎城は浮島の対岸に位置 …
歴史 築城年代が定かではない神宮寺城は、南北朝期の常陸国を象徴する戦い「常陸合戦」始まりの地と言っても良い。 時は、延元3/暦応元(1338)年、北畠顕家や新田義貞といった有力武将を戦死により失った南朝方は、勢力の弱 …
歴史 大鹿城と小文間城は、互いの関係性が深いため同項で解説します。 大鹿城は、永禄年間(1558-1570)の頃、小田氏の麾下であった大鹿太郎左衛門の居城であったとされています。 現在の取手競輪場が城跡のあった …
歴史 下総相馬氏の庶流である高井氏の居城で、取手市内では最大規模を誇る城跡です。 守谷市にある守谷城の支城とされています。 「高井」の地名は、建武3(1336)年の相馬親胤宛て「斯波家長奉書」に大鹿村とともに記 …
歴史 南北朝期、常陸南部には東条荘(現在の稲敷市や龍ケ崎市の一部)という東條氏一族が統治する領地がありました。現在、東條氏が築城した太田城跡の北には小野川、南には新利根川が走っていることが示しているようにこの頃の東条荘周 …
歴史 築城年代や詳しい城の経緯は不明ですが、江戸崎土岐氏が龍ケ崎一帯を攻略する以前は、小田方であった貝原塚将監氏胤が城主であったとされています。土岐氏がこの地を治めて以後は、土岐氏の重臣であった諸岡(師岡)氏が入城した …
歴史 馴馬城の築城年代や歴代城主については、その一切が不明ですが、南北朝時代に南朝方の拠点となっていたことが諸文献を根拠に指摘されています。 文献によれば、南朝方は、2度にわたって馴馬城を拠点にしたとされています。1 …
歴史 元暦元(1184)年、頼朝への忠義が篤かった下河辺政義が常陸国南部の惣地頭職に任ぜられ、龍ケ崎の地もその配下に入りました。その後、頼朝の弟・義経が謀反を起こすと、姻戚関係にあった政義は領地を没収されてしまいました。 …